フロイト

文化の中の居心地悪さ VII

文化闘争というのは人類に独特のもののようで、他の種の動物では事情が違っている。 どうやら、動物のうちでもいくつかの種、たとえばミツバチやアリ、シロアリなどは、何十万年にもわたる格闘のはてに、われわれが今日、思わず見とれる国家制度や分業、個の…

文化の中の居心地悪さ VI

論をすすめるにあたって、フロイトは欲動理論の変遷についておさらいをする。欲動理論は、常に対極性の構造をなしてきた。最初の理論では、自我欲動と対象欲動の対極。 自我欲動とは自己保存のための欲動であり、対象欲動は「リビード的」欲動であるとされた…

文化の中の居心地悪さ V

文化の求めるところは、愛によって人間をより大きな集団に束ねることである。二人の人間が性愛によって結ばれ満ち足りている状態。 これだけでは、いつまで経っても大きな集団ができないので困る。そこで性欲を制限し、そうすることで生じる「目標を制止され…

文化の中の居心地悪さ IV

文化がまさに欲動断念の上に打ち立てられているということ、このことを歴史的に再構成してみる。フロイトの想定によれば、太古において人間の祖先は、首長である父の支配する集団、すなわち「原始の家族」を作って暮らしていた。 『トーテムとタブー』で、私…

文化の中の居心地悪さ III

人間が幸福になるのは何故こうも難しいのか。 この問題に取り組むうちに、ついに本著作の主題ともいえる命題が現れる。 この可能性に取り組んでゆくと耳にするひとつの主張は、実に驚くべきもので、しばらくこれについえ検討しておきたい。この主張によると…

文化の中の居心地悪さ II

ロマン・ロランのような学問のある者が、宗教がもはや信じるに値しないと薄々気づきつつもそれを未練がましく擁護することに対して、フロイトは手厳しい。 神の代わりに、人格を持たない影のような抽象的原理を出してくれば、それで宗教の神を救えると信じる…

文化の中の居心地悪さ I

「ある錯覚の未来」では、仮想の論敵に対して答える形でフロイトの主張が展開された。 「文化の中の居心地悪さ」の冒頭は、前著作へのロマン・ロランの感想を紹介するところからはじまる。ロマン・ロランによれば、宗教性の本来の源泉は多くの人が共有する主…