ある錯覚の未来 VI

宗教上の教義が不条理にもかかわらず存続してきた理由。

自らの教義を騙(かた)るそれらの表象は、経験の沈殿や思索の最終的な結果ではなく、錯覚であり、人類の最古にして最強の、そしてもっとも差し迫った欲望の成就である。(20-32)

ここで使われている「錯覚Illusion」の定義は独特なので注意する必要がある。
ちなみに、最初に述べたように以前の翻訳では「幻想」とされていた。

このように、欲望成就が主たる動機となって何かが信じられている場合、われわれはそれを錯覚と呼ぶ。(20-34)

錯覚に似ているものに妄想があるが、後者では現実に反していることが本質的である。
現実かどうかは人々に共有されているかどうかで決まるので、錯覚と妄想の区別も相対的であり程度問題である。