ある錯覚の未来 IX

最後の2章では、宗教という錯覚を廃して合理的な取り決めに置き換えるための計画が語られる。

それは、子供への宗教教育の廃止である。

健康な子供の輝かしい知性、凡庸な大人の愚昧、両者のあいだの気のめいるような対照を考えてごらんなさい。こうした相対的な萎縮のうちのかなりの部分は、まさに宗教教育のせいだと言うことはできないでしょうか。(20-53)

ここにおいて、フロイトは理想主義的で楽観的であり仮想の論敵は保守的である。
論敵は子供の教育にとって宗教は必要であると主張し、人間はそのような慰めなしでは生きられないのではないかと心配している。

しかし、幼年期とは乗り越えられるべき定めにあるのではないでしょうか。人間は永久に子供のままであることはできません。最後には「敵意に満ちた人生」の中へ漕ぎ出してゆかなければなりません。(20-56)